高野山行き
2010年 05月 29日
平城京祭会場を、予定どうり15時に出発、紀州高野山へ向かう。
葛城~御所~五條へ、此処で紀ノ川を渡り新道、京奈和道を走る、この辺り、のどかな田園が広がる。九度山~高野町から、くねくねと曲りくねる山道を進む、高度が上がるに連れ、杉の大木が目に付く様になる。17時30分、遍照尊院、宿坊に到着。標高1000mの山上。
現在は男女平等の世の中ですが、当時は修行の場として、女人禁制でした。
寺院の数は123ですと、僧侶、1000名だそうです。すると、此処は紛れも無い山上の一大宗教地、宗教都市ですね。初めて訪れ、それが分かりました。お土産店、お店もあります。
のどかな田園が車窓に見える。
宿坊に到着・・18時に夕食との事、慌しい・・各部屋に荷物を置き、食事の大広間へ・・簡素な精進料理を感謝して頂く。その後お風呂へ・・・このお風呂が素晴らしい・・15人程が入れる浴槽は、樹齢2000年以上の檜の大木で作られ、浴槽はドッシリと重厚で、心地良い。お湯はコンコンと溢れ、薬草の匂いがする。湯冷めせずポカポカと何時までも温かい。早めにやすむ。
19日、早朝6時に本堂でお勤め、合図の鐘が鳴る。全員参加する。1時間タップリ要す。終わって地下に案内される、ここは、永代供養の場である。7時、朝食、8時出発・・金剛峰寺、奥の院へ向かう。
遍照尊院、宿坊・・接する態度は、懇切丁寧で、明るくユーモアがある。
早朝散歩で、附近の様子を撮る・・
何れも杉、こうやまきの大木、巨木である。
本堂。
住職の法話の終わりに「皆さんの為に、真心を込めてお祈りしました。毎日を心安らかに、精一杯大切に、暮らしてください」と仰られました(感謝です)
朝食。
金剛峰寺。
真言宗の宗祖空海(弘法大師)の聖地であり、真言宗の総本山である。
奥の院へお参り・・
参道沿いには、歴史上の人物、武将、全国各地の企業家、会社、有名人などの石塔、五輪塔、ご廟が無数にある。
法然上人のご廟。
五輪塔。
奥の院に到着・・この御廟橋を渡ってからは、脱帽、写真禁止、襟を正す・・
この杉の大木、高さ30m、直径1~2mは有る巨木・・圧倒されます。霊気を感じる。
空海(弘法大師)入定の聖地である。
空海(774~835)は四国讃岐に生まれ、幼年より利発、神童であった。長じて修業中の室戸岬辺りか、空と海を常に目にしていた・・其処から空海と称したとか・・
31歳ごろ、東大寺で得度受戒した。804年、遣唐使の留学層として、唐へ渉る。
この頃、最澄(伝教大師、比叡山・延暦寺、天台宗の宗祖。767~822、55才入滅)は天皇の護持僧の地位に居た。空海は20年はかかると言う勉学を、僅か2年で修業修得し、806年に帰国する。長安でも、俊才を発揮する。
816年、修業の地として、高野山を下賜される。各地で布教、土地改良農事に尽くす。
823年(50歳)東寺を賜り、真言密教の道場とする。
832年、高野山金剛峰寺を定額寺とする。
835年3月21日入滅する(61才)。
921年に醍醐天皇より、弘法大師の諡り名を贈られる。
真言宗では、空海を「南無大師遍照金剛」と称す。
故郷四国での山岳信仰の霊場は、世に言う四国八十八ヶ所の寺々を巡る霊場行となり、今日に及んでいる。
お参りの後、地下に案内される・・永代供養の場です。幾百の法灯が点っている。
50年間は灯し続け、次の法灯に代わるそうです。
弘法大師のご真影がみえました。
出発です・・来た道を戻ります・・昼食は道の駅、針テラスで・・
午後からは雨が激しくなり、松本到着まで降り続く(バスの中で幸いです)20時、無事到着。
葛城~御所~五條へ、此処で紀ノ川を渡り新道、京奈和道を走る、この辺り、のどかな田園が広がる。九度山~高野町から、くねくねと曲りくねる山道を進む、高度が上がるに連れ、杉の大木が目に付く様になる。17時30分、遍照尊院、宿坊に到着。標高1000mの山上。
現在は男女平等の世の中ですが、当時は修行の場として、女人禁制でした。
寺院の数は123ですと、僧侶、1000名だそうです。すると、此処は紛れも無い山上の一大宗教地、宗教都市ですね。初めて訪れ、それが分かりました。お土産店、お店もあります。
のどかな田園が車窓に見える。
宿坊に到着・・18時に夕食との事、慌しい・・各部屋に荷物を置き、食事の大広間へ・・簡素な精進料理を感謝して頂く。その後お風呂へ・・・このお風呂が素晴らしい・・15人程が入れる浴槽は、樹齢2000年以上の檜の大木で作られ、浴槽はドッシリと重厚で、心地良い。お湯はコンコンと溢れ、薬草の匂いがする。湯冷めせずポカポカと何時までも温かい。早めにやすむ。
19日、早朝6時に本堂でお勤め、合図の鐘が鳴る。全員参加する。1時間タップリ要す。終わって地下に案内される、ここは、永代供養の場である。7時、朝食、8時出発・・金剛峰寺、奥の院へ向かう。
遍照尊院、宿坊・・接する態度は、懇切丁寧で、明るくユーモアがある。
早朝散歩で、附近の様子を撮る・・
何れも杉、こうやまきの大木、巨木である。
本堂。
住職の法話の終わりに「皆さんの為に、真心を込めてお祈りしました。毎日を心安らかに、精一杯大切に、暮らしてください」と仰られました(感謝です)
朝食。
金剛峰寺。
真言宗の宗祖空海(弘法大師)の聖地であり、真言宗の総本山である。
奥の院へお参り・・
参道沿いには、歴史上の人物、武将、全国各地の企業家、会社、有名人などの石塔、五輪塔、ご廟が無数にある。
法然上人のご廟。
五輪塔。
奥の院に到着・・この御廟橋を渡ってからは、脱帽、写真禁止、襟を正す・・
この杉の大木、高さ30m、直径1~2mは有る巨木・・圧倒されます。霊気を感じる。
空海(弘法大師)入定の聖地である。
空海(774~835)は四国讃岐に生まれ、幼年より利発、神童であった。長じて修業中の室戸岬辺りか、空と海を常に目にしていた・・其処から空海と称したとか・・
31歳ごろ、東大寺で得度受戒した。804年、遣唐使の留学層として、唐へ渉る。
この頃、最澄(伝教大師、比叡山・延暦寺、天台宗の宗祖。767~822、55才入滅)は天皇の護持僧の地位に居た。空海は20年はかかると言う勉学を、僅か2年で修業修得し、806年に帰国する。長安でも、俊才を発揮する。
816年、修業の地として、高野山を下賜される。各地で布教、土地改良農事に尽くす。
823年(50歳)東寺を賜り、真言密教の道場とする。
832年、高野山金剛峰寺を定額寺とする。
835年3月21日入滅する(61才)。
921年に醍醐天皇より、弘法大師の諡り名を贈られる。
真言宗では、空海を「南無大師遍照金剛」と称す。
故郷四国での山岳信仰の霊場は、世に言う四国八十八ヶ所の寺々を巡る霊場行となり、今日に及んでいる。
お参りの後、地下に案内される・・永代供養の場です。幾百の法灯が点っている。
50年間は灯し続け、次の法灯に代わるそうです。
弘法大師のご真影がみえました。
出発です・・来た道を戻ります・・昼食は道の駅、針テラスで・・
午後からは雨が激しくなり、松本到着まで降り続く(バスの中で幸いです)20時、無事到着。
by joy24y
| 2010-05-29 17:40