山本作兵衛展(~5月6日)
2013年 04月 29日
一週間ほど東京へ行っていました。
その間、東京タワー1階で山本作兵衛(1892年明治25年5月~1984年昭和59年12月死去92歳)展を見てきました。
幼い頃から筑豊炭鉱で働きだし、14歳頃からは父と兄と共に、抗夫として60歳過ぎまで働き続けた。後に独学で勉強し漢字を学び水彩画も描き始める。
自らの体験談を子供や孫の為に、残しておこうと言う一念で、66歳頃から書き溜めた日記、水彩画など1000点以上と言います。内容は、炭鉱内の生活、働きの様子、工場の様子や、道具、工具、施設、お風呂(当時は男女混浴)縁起、物売り、リンチ、刺青、世相など多岐に亘る記録画と文章である。その当時は人生50歳にいかなかったのでは・・
人間、歳に関係ないですね、気がついた時、思い立った時がスタートです。
遅まきながらの出発でしたが、見事それからの生涯を、このシゴトに打ち込んだのですね。
元気と勇気と希望をもらえます。
当時のエネルギーは石炭で、特に九州・筑豊炭田は最大で、国内の半分を産出していた。
炭田は、北海道に釧路・夕張が、九州に田川・大牟田・長崎が、他には、いわき、宇部などが・・
これ等の遺作品が目に留まり、平成23年5月に、世界記憶遺産として日本で初めてユネスコに登録された。これまで、ドイツに13件、オーストリアに12件、ロシヤに11件、ポーランドが10件だそうです。
正に超人的な偉業ですね。皆さんも時間を作って、ご覧下さい。
今回は地下鉄・大江戸線で「赤羽橋」で下車・・地上に出ると目の前がタワーです。
大江戸線は全駅で身障者、特に目の不自由な方には福音となる、ホームドアーが設置されていました。これも素晴らしいことですね。
タワーには鯉のぼりが翻っていました。
戻ろうとしたときに1台の大型バスが来ました。見ると、松本のアルピコでした。偶然ですね。
タワーの下に南極観測隊のカラフト犬、タロー・ジローなどの像ガあります。
その間、東京タワー1階で山本作兵衛(1892年明治25年5月~1984年昭和59年12月死去92歳)展を見てきました。
幼い頃から筑豊炭鉱で働きだし、14歳頃からは父と兄と共に、抗夫として60歳過ぎまで働き続けた。後に独学で勉強し漢字を学び水彩画も描き始める。
自らの体験談を子供や孫の為に、残しておこうと言う一念で、66歳頃から書き溜めた日記、水彩画など1000点以上と言います。内容は、炭鉱内の生活、働きの様子、工場の様子や、道具、工具、施設、お風呂(当時は男女混浴)縁起、物売り、リンチ、刺青、世相など多岐に亘る記録画と文章である。その当時は人生50歳にいかなかったのでは・・
人間、歳に関係ないですね、気がついた時、思い立った時がスタートです。
遅まきながらの出発でしたが、見事それからの生涯を、このシゴトに打ち込んだのですね。
元気と勇気と希望をもらえます。
当時のエネルギーは石炭で、特に九州・筑豊炭田は最大で、国内の半分を産出していた。
炭田は、北海道に釧路・夕張が、九州に田川・大牟田・長崎が、他には、いわき、宇部などが・・
これ等の遺作品が目に留まり、平成23年5月に、世界記憶遺産として日本で初めてユネスコに登録された。これまで、ドイツに13件、オーストリアに12件、ロシヤに11件、ポーランドが10件だそうです。
正に超人的な偉業ですね。皆さんも時間を作って、ご覧下さい。
今回は地下鉄・大江戸線で「赤羽橋」で下車・・地上に出ると目の前がタワーです。
大江戸線は全駅で身障者、特に目の不自由な方には福音となる、ホームドアーが設置されていました。これも素晴らしいことですね。
タワーには鯉のぼりが翻っていました。
戻ろうとしたときに1台の大型バスが来ました。見ると、松本のアルピコでした。偶然ですね。
タワーの下に南極観測隊のカラフト犬、タロー・ジローなどの像ガあります。
by joy24y
| 2013-04-29 16:36