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by joy24y
| 2006-08-03 09:09
| 自然
今年、5月末に出かけたツアー記をまとめました。
お友達と岡山の地へ(18年5月25日~29日)往復1400キロのドライブ行程は、行きが中央道~名神~中国道~山陽道~岡山。インターを降りた所で、T氏の出迎え(14時)を受け、ご案内を頂く。帰りは、瀬戸大橋~高松~大鳴門橋~淡路島~明石海峡大橋~舞子~神戸~松本。各地の名所、旧跡、観光地、美術館を巡りました。ご覧下さい。
25日、
竹久夢二、郷土美術館
夢二(明治17年~昭和9年)は、岡山県の生まれ、明38年、22歳の時に、博文館のコマ絵描きにその才を振るう、42年「夢二画集・春の巻」がベストセラーに、その叙情画は、不動のものとなる。昭和6年アメリカ・ヨーロッパへ(8年帰国)、翌9年、信州富士見高原、療養所にて50歳で死去。雑司ヶ谷墓地に埋葬。
夢二美術館 岡山城
岡山城は、浮喜多直家の子、秀長が1597年(慶長2年)に築城した。昭和20年、戦災で消
失、再建は昭和41年、更に築城400年を記念して金のシャチホコを平成8年に飾る。
更に、後楽園へ進む、ここは、岡山藩主、池田綱政が1700年(元禄13年)に完成。江戸時代の風情を今に保つ天下の名園。丹頂鶴が飼育されています。青々とした茶畑もあります。
26日
今日は、倉敷の大原美術館を中心にして周辺を観光します。
早朝の散歩に海岸まで・・臨海学校の生徒たちが、砂浜のお掃除、ゴミ拾いをしていました。
市役所へ回る・・その美しい建物に見とれました。
倉敷市役所
大原美術館
児島虎次郎記念館 水島コンビナート
大原美術館へ、小雨になりました。
現、クラレの創業者、大原孫三郎(明治13年~昭和18年)が1930年(昭和5年)に開館。
ここに、本館(美術館),分館、工芸館、東洋館、ホテルがあります。
入り口にロダンの彫像・・ヨハネとカレーの市民群像の一体があります。
本館前の大原邸から、夫人の為に建てた、有隣荘を見学し、倉敷アイビースクエアーまで
アイビーには、児島虎次郎記念館、代官所跡、工房、倉紡記念館、中庭広場の向うには
瀟洒なホテルもあります。
倉紡館では、現クラレに至る歴史、社史が展示、説明されています。
ここで、社標と社訓が分かりました。
二三(にさん)のマーク・・それは、常に謙虚な心を持ち、気概は一番を目指せ・・の意を表わしています。孫三郎の社会、福祉事業は、学校、病院、孤児院、社員住宅などの建設、運営と、広範囲に及び、その規模は今日の金額で、数百億円に達すると言う。明治の偉人ですね。
児島虎二郎・記念館
大原孫三郎の親友であり、孫三郎の依頼を受け5年のヨーロッパ行きで、数々の絵画を収集して今日の美術館の基礎を築いた。自身は洋画家としても活躍した。
三日目、5月27日・晴れました。
由加山・蓮台寺へ、真言宗御室派で神仏混合です。旅の安全と幸せを祈念する。
大鳥居と狛犬は、備前焼です。
今日の目玉、三井造船、(玉野)での進水式へ
船主はインドで、56000トンの巨船。国歌が流れた後、命名式・・MERIDIAN HALOと命名
シャンペンが割れ五色の紙テープが流れると、船は静かに船台を離れ、海へ進みます。
初めての経験です、少し厳粛で、感動しました。T氏は三井造船に、30年勤務されたお方です。氏のご案内で、今日の進水式を見ることが出来たのです(感謝です)
巨大なエンジンは、年間260基生産(ほぼ毎日)世界各国へ、巨船は16隻建造されます。
従って進水式は毎月有るそうです。造船王国・日本ですね。
昼食は、鷲羽山ホテルで ホテルからの瀬戸大橋
児島港から、遊覧船で、大橋を下から見る。
遊覧を終えて、製塩で栄えた、野崎邸へ・・当時の、この地方の塩の生産量は日本全国の9パーセントに当たるそうです。製塩の歴史を知る事ができました。 世界の岩塩
山頂のビジターセンターからの瀬戸大橋と夜景
5月28日(四日目)
今朝は岡山とお別れです。三日間、T氏ご夫妻のお世話を受けました。
四国、高松を目指します。美しい、穏やかな瀬戸内海に架かる、瀬戸大橋を渡ります。
与島PAでの景観を見る。早朝の為ヒッソリとして、雄大な眺めを独り占めにする幸運。
瀬戸大橋は、昭和63年4月10日の開通、海上約10キロに亘る壮大なスケールです。
高松に入り、高松城跡(玉藻公園)を訪れる。別名、玉藻城、お堀に海水が引かれています。
築城は1587年(天正15年)豊臣秀吉の時代です。朝食後、栗林公園へ。
公園は1625年(寛永年間)から歴代藩主により造営され1745年の完成と云われています。
高松城 栗林公園
源平合戦(1185年)の場、屋島へ向かう。溶岩台地にテーブル状のお山。
頂上に屋島寺があり、四国88ヶ所の84番の札所です。ボランティアのガイドを頂けて
ラッキーでした。とても分かり易い説明でした。
なんと、お遍路さんの後ろにバスが、松電、アルピコでした、
今日のハイライト、うずしお観潮船、乗り場へ・・15分前に到着。
45分の波しぶきが終わり、うずしおの豪快さ、大橋を下から見る奇観でした。
妙見山中にある、ガレの森・美術館へ・・アール・ヌーヴォー期のガラス作品。
山を降り、JR鳴門駅前でお昼・・大鳴門~子鳴門~淡路島を縦断、明石海峡大橋を渡り、今日のホテル舞子ビラえ。途中淡路SAで一休み。
この、SAは、上り下りが自由に往来できます。下りに観覧車があります。
右と下の写真は、明石海峡大橋です。
舞子から写す。
5月29日、晴れ、旅の最終日です。テラスレストランで朝食を頂く・・入りきれない方が長い列を作っています、お先に・・舞子ビラから神戸え、8時出発。
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災から11年目の復興した神戸を初めて目にします。
メリケンパークえ・ここは神戸開港120年を記念して造られた広大な市民の憩いの場です。
サンタマリア号・コロンブス(1451~1506)が1492年、西インド諸島に到着した帆船。
500年目に当たり、1990年にスペイン・バルセロナの造船所で復元された。
120トン、全長32メートル、大航海時代の始まりです。
海援隊・・勝海舟、坂本竜馬らによって造られた、海軍操練所。
なにやら、モアイ島の巨石に似ていると思いませんか?今にも動き出しそう・・
阪神淡路大震災のツメあとの一部が保存されています。
このあと、三宮、山手地区をドライブ・・神戸は日本を代表する港町、貿易港と実感しました。
市内は鉄とコンクリートで固められ、緑地帯は丘陵地区に集中しています。
お別れです、高速に乗ります。岐阜、愛知あたりでリフレッシュ工事に当たり、一般道え・・
ここも渋滞・・小牧から中央道え、一路松本え戻りました。
ご覧頂き有り難うございました。今回はT氏を初め、ブログを通じて知り合い、お友達になった方々とのドライブでした。ブログによって、内外の方々と交流できる楽しさを、知りました。
この様な経験は、初めてでした。高齢者こそ、ITの恩恵を存分に使いましょう。
お友達と岡山の地へ(18年5月25日~29日)往復1400キロのドライブ行程は、行きが中央道~名神~中国道~山陽道~岡山。インターを降りた所で、T氏の出迎え(14時)を受け、ご案内を頂く。帰りは、瀬戸大橋~高松~大鳴門橋~淡路島~明石海峡大橋~舞子~神戸~松本。各地の名所、旧跡、観光地、美術館を巡りました。ご覧下さい。
25日、
竹久夢二、郷土美術館
夢二(明治17年~昭和9年)は、岡山県の生まれ、明38年、22歳の時に、博文館のコマ絵描きにその才を振るう、42年「夢二画集・春の巻」がベストセラーに、その叙情画は、不動のものとなる。昭和6年アメリカ・ヨーロッパへ(8年帰国)、翌9年、信州富士見高原、療養所にて50歳で死去。雑司ヶ谷墓地に埋葬。
夢二美術館 岡山城
岡山城は、浮喜多直家の子、秀長が1597年(慶長2年)に築城した。昭和20年、戦災で消
失、再建は昭和41年、更に築城400年を記念して金のシャチホコを平成8年に飾る。
更に、後楽園へ進む、ここは、岡山藩主、池田綱政が1700年(元禄13年)に完成。江戸時代の風情を今に保つ天下の名園。丹頂鶴が飼育されています。青々とした茶畑もあります。
26日
今日は、倉敷の大原美術館を中心にして周辺を観光します。
早朝の散歩に海岸まで・・臨海学校の生徒たちが、砂浜のお掃除、ゴミ拾いをしていました。
市役所へ回る・・その美しい建物に見とれました。
倉敷市役所
大原美術館
児島虎次郎記念館 水島コンビナート
大原美術館へ、小雨になりました。
現、クラレの創業者、大原孫三郎(明治13年~昭和18年)が1930年(昭和5年)に開館。
ここに、本館(美術館),分館、工芸館、東洋館、ホテルがあります。
入り口にロダンの彫像・・ヨハネとカレーの市民群像の一体があります。
本館前の大原邸から、夫人の為に建てた、有隣荘を見学し、倉敷アイビースクエアーまで
アイビーには、児島虎次郎記念館、代官所跡、工房、倉紡記念館、中庭広場の向うには
瀟洒なホテルもあります。
倉紡館では、現クラレに至る歴史、社史が展示、説明されています。
ここで、社標と社訓が分かりました。
二三(にさん)のマーク・・それは、常に謙虚な心を持ち、気概は一番を目指せ・・の意を表わしています。孫三郎の社会、福祉事業は、学校、病院、孤児院、社員住宅などの建設、運営と、広範囲に及び、その規模は今日の金額で、数百億円に達すると言う。明治の偉人ですね。
児島虎二郎・記念館
大原孫三郎の親友であり、孫三郎の依頼を受け5年のヨーロッパ行きで、数々の絵画を収集して今日の美術館の基礎を築いた。自身は洋画家としても活躍した。
三日目、5月27日・晴れました。
由加山・蓮台寺へ、真言宗御室派で神仏混合です。旅の安全と幸せを祈念する。
大鳥居と狛犬は、備前焼です。
今日の目玉、三井造船、(玉野)での進水式へ
船主はインドで、56000トンの巨船。国歌が流れた後、命名式・・MERIDIAN HALOと命名
シャンペンが割れ五色の紙テープが流れると、船は静かに船台を離れ、海へ進みます。
初めての経験です、少し厳粛で、感動しました。T氏は三井造船に、30年勤務されたお方です。氏のご案内で、今日の進水式を見ることが出来たのです(感謝です)
巨大なエンジンは、年間260基生産(ほぼ毎日)世界各国へ、巨船は16隻建造されます。
従って進水式は毎月有るそうです。造船王国・日本ですね。
昼食は、鷲羽山ホテルで ホテルからの瀬戸大橋
児島港から、遊覧船で、大橋を下から見る。
遊覧を終えて、製塩で栄えた、野崎邸へ・・当時の、この地方の塩の生産量は日本全国の9パーセントに当たるそうです。製塩の歴史を知る事ができました。 世界の岩塩
山頂のビジターセンターからの瀬戸大橋と夜景
5月28日(四日目)
今朝は岡山とお別れです。三日間、T氏ご夫妻のお世話を受けました。
四国、高松を目指します。美しい、穏やかな瀬戸内海に架かる、瀬戸大橋を渡ります。
与島PAでの景観を見る。早朝の為ヒッソリとして、雄大な眺めを独り占めにする幸運。
瀬戸大橋は、昭和63年4月10日の開通、海上約10キロに亘る壮大なスケールです。
高松に入り、高松城跡(玉藻公園)を訪れる。別名、玉藻城、お堀に海水が引かれています。
築城は1587年(天正15年)豊臣秀吉の時代です。朝食後、栗林公園へ。
公園は1625年(寛永年間)から歴代藩主により造営され1745年の完成と云われています。
高松城 栗林公園
源平合戦(1185年)の場、屋島へ向かう。溶岩台地にテーブル状のお山。
頂上に屋島寺があり、四国88ヶ所の84番の札所です。ボランティアのガイドを頂けて
ラッキーでした。とても分かり易い説明でした。
なんと、お遍路さんの後ろにバスが、松電、アルピコでした、
今日のハイライト、うずしお観潮船、乗り場へ・・15分前に到着。
45分の波しぶきが終わり、うずしおの豪快さ、大橋を下から見る奇観でした。
妙見山中にある、ガレの森・美術館へ・・アール・ヌーヴォー期のガラス作品。
山を降り、JR鳴門駅前でお昼・・大鳴門~子鳴門~淡路島を縦断、明石海峡大橋を渡り、今日のホテル舞子ビラえ。途中淡路SAで一休み。
この、SAは、上り下りが自由に往来できます。下りに観覧車があります。
右と下の写真は、明石海峡大橋です。
舞子から写す。
5月29日、晴れ、旅の最終日です。テラスレストランで朝食を頂く・・入りきれない方が長い列を作っています、お先に・・舞子ビラから神戸え、8時出発。
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災から11年目の復興した神戸を初めて目にします。
メリケンパークえ・ここは神戸開港120年を記念して造られた広大な市民の憩いの場です。
サンタマリア号・コロンブス(1451~1506)が1492年、西インド諸島に到着した帆船。
500年目に当たり、1990年にスペイン・バルセロナの造船所で復元された。
120トン、全長32メートル、大航海時代の始まりです。
海援隊・・勝海舟、坂本竜馬らによって造られた、海軍操練所。
なにやら、モアイ島の巨石に似ていると思いませんか?今にも動き出しそう・・
阪神淡路大震災のツメあとの一部が保存されています。
このあと、三宮、山手地区をドライブ・・神戸は日本を代表する港町、貿易港と実感しました。
市内は鉄とコンクリートで固められ、緑地帯は丘陵地区に集中しています。
お別れです、高速に乗ります。岐阜、愛知あたりでリフレッシュ工事に当たり、一般道え・・
ここも渋滞・・小牧から中央道え、一路松本え戻りました。
ご覧頂き有り難うございました。今回はT氏を初め、ブログを通じて知り合い、お友達になった方々とのドライブでした。ブログによって、内外の方々と交流できる楽しさを、知りました。
この様な経験は、初めてでした。高齢者こそ、ITの恩恵を存分に使いましょう。
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by joy24y
| 2006-07-28 16:59
| 旅
ひと時、晴れました、此れを逃さず、市美術館へ・・信州の生んだ書家、信山展(~9月24日)
信山(1907年・明40年~97年・平9年・89歳)は、松本市、神林の生まれ、25歳の時、上京して。恩師・宮島詠士に師事し、大胆にして、雄渾の独自の境地を拓く。
1892年、詠士の先師、張廉卿を再び中国に訪れた詠士は、師が西安に転居した事を知り、漢口から小舟で揚子江を遡り、秦嶺山脈を越え、3ヶ月かかって師と対面する・・その死を看取るただ一人の弟子となる。書にたいする、飽くなき探究心である。これ等の歴史を踏まえての展示です。生涯にわたる作品の展示で、日本の、漢字・ひらがな・カタカナと世界に類を見ない、芸術性を持った文字と言われる由縁ですね。
1976年(山光照我)・77年(将飛)・83年(剣光)・神品不滅(80年)・94年(心如水)などが心に残りました。駐車場には、埼玉、群馬のバスが止まっていました。
信山(1907年・明40年~97年・平9年・89歳)は、松本市、神林の生まれ、25歳の時、上京して。恩師・宮島詠士に師事し、大胆にして、雄渾の独自の境地を拓く。
1892年、詠士の先師、張廉卿を再び中国に訪れた詠士は、師が西安に転居した事を知り、漢口から小舟で揚子江を遡り、秦嶺山脈を越え、3ヶ月かかって師と対面する・・その死を看取るただ一人の弟子となる。書にたいする、飽くなき探究心である。これ等の歴史を踏まえての展示です。生涯にわたる作品の展示で、日本の、漢字・ひらがな・カタカナと世界に類を見ない、芸術性を持った文字と言われる由縁ですね。
1976年(山光照我)・77年(将飛)・83年(剣光)・神品不滅(80年)・94年(心如水)などが心に残りました。駐車場には、埼玉、群馬のバスが止まっていました。
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by joy24y
| 2006-07-25 17:08
| 美術